「新型コロナウイルスから得たこと」
沖縄県
医療法人ちゅうざん会 ちゅうざん病院
摂食・嚥下障害看護認定看護師
加藤 節子
目に見えない脅威に
現在私たちは、新型コロナウイルスという目に見えない脅威に日々さらされています。
私の勤めるリハビリテーション病院でも、4月より面会制限がかかっているため、患者さん・家族双方とも、大切な人に会えない淋しいさや辛さより、不安・不眠・食欲低下など影響が大きく出てきています。少しでも安らげる状況がつくれないかと、当院で日々模索している中で思うところは多々ありますが、今回は最近経験したことから感じたことを書かせていただきます
沖縄県独自の緊急事態宣言
私の住む沖縄県では、今年7月から8月にかけ、新型コロナウイルスの感染者が人口比率では日本一多く発生しました。都会に比べ、医療体制が脆弱な島国沖縄では医療崩壊を防ぐため、県独自の緊急事態宣言や、クラスター発生病院への医療関係者の派遣、軽症者のホテル療養などの対策を行っていました。
今回、沖縄県からの派遣依頼により、クラスターが発生した病院での感染された方のケアに携わらせていただくことができました。派遣先の病院は療養病床で、8月初旬から中旬にかけ、患者19名、看護師7名、介護士5名のクラスターが発生しました。
派遣初日の状況は、指揮をとる病棟師長の感染も確認されたため、沖縄県看護協会、応援病院の師長やDMATの看護師が夜勤を務めながら師長を代行し、災害派遣の自衛官4名、他県看護師の派遣により、なんとか持ち堪えている状況でした。もともと病院に務めている勤務可能な看護師は数少なく、言葉も表情もない状態であり、これらの状況から緊急事態だと悟りました。
そのため、早急にレッドゾーンでのケアに入りましたが、19名の患者さんはほぼ寝たきりの高齢者で言葉も発することができず、経管栄養や点滴をしているために両手は拘束され、胸から上は飛沫防止のためのドーム型のビニールに覆われていました。
体位を替えるためにベッドの頭側を下げる時や、身体に触れる時ですら苦痛の表情でした。
ほとんどの方は手足の拘縮が強く、着替えをする際などかなり苦労しましたが、最も心を痛めたのは、腕がまっすぐなまま拘縮されていた方を見たときです。
寝たきりの方は手足を使う機会も極端に減るため、日々他動的に動かしていないと手や腕・足の関節はあっという間に拘縮します。手足の拘縮は身体の中心へと、赤ちゃんがお腹の中にいる時のような態勢で拘縮してしまいます。それもかなり辛い状態ですが、この方は腕がまっすぐなまま拘縮していました。
腕を伸ばした状態、つまり、長時間手首を柵に固定されていたということです。もう動かなくなってしまった手にも拘束がされている。拘束を外して腕をゆっくり曲げようとしても、その腕は全く動きません。首ものけぞった状態で固まっており、唾液も飲めず常に唾液や痰を取り除くための吸引が必要な状態です。
その上に新型コロナウイルス感染症による発熱や咳・痰・下痢という辛い状況を見て、なぜこのような状態になってしまったのか、そして自分で身体を動かすことができないこの方々が感染し、こんなに辛い思いをしなければならないのかと、胸が詰まりました。
コロナ以前に高齢者のケアの在り方に対しては、以前より疑問が多くありましたが、このような現状を改めて目にした時、その疑問は一層強くなりました。
意思疎通もはかれず、口から食べることなく、経管栄養で寝たきりの高齢者の尊厳は、一体どこにあるのだと。
意思疎通困難で経管栄養の寝たきり高齢者の尊厳について
以前私が療養型病院に務めていた際、経管栄養の寝たきりの高齢者の多さに、強い違和感を抱いていました。今まで経管栄養の方のケアは前医でも担っていましたが、外科病棟でもあったため、経管栄養は手術のための一時的なものでした。重症心身障害児者施設で勤務していた際も経管栄養の児童も多くいましたが、子供たちには日常がありました。朝、注入し身支度の後、養護学校へ。週末には、母親や兄弟とともに外泊するといった様子です。
しかし、経管栄養をしている高齢者の方々は食事も排泄もベッド上で済むため一日中寝たきりとなります。重い頭は後方へ反り、あごは挙がるため口は常に開いたままになります。そのため唾液も飲み込めなくなり、唾液が口の中に溢れてしまう。使わなくなってしまった手足は棒のように固く拘縮し、鼻や胃部にはいつから入っていて、いつまで続けるのかわからない経管栄養の管が入っており、自らの手でその管を抜くことが一度でもあればミトン(指の形の無い手袋状のもの)をし、柵に括り付けられるわけです。
平成30年に厚労省が行った『人生の最終段階における医療に関する意識調査』の中で「口から十分な栄養がとれなくなった場合、鼻から管を入れて流動食をいれること(経鼻栄養)」について、一般国民64.0%、医師83.8%、看護師86.1%、介護職員89.6%が「望まない」という結果でした。また「口から十分な栄養をとれなくなった場合、手術で胃に穴を開けて直接管を取り付け、流動食を入れること(胃ろう)」についても一般国民 70.5%、医師 85.6%、看護師 86.5%、介護職員 90.9%が望まないとの回答結果でした。一般国民より、医療介護従事者の方が希望しない人が多いという、考えさせられる結果でした。
しかし、人生の最終段階において、口から食べることも叶わず経管栄養で寝たきりの状態で長年にわたり高齢者施設等で過ごされている方は日本ではまだまだ多いのが現状です。
経管栄養は必要な人に必要な時期に行えば、素晴らしい恩恵をもたらせてくれる方法です。しかし年々消化吸収力は落ち、人生の最終段階にある寝たきりの高齢者のその身体には、十分すぎるエネルギーと水分は処理しきれず、唾液や痰となって常に口腔内に溢れ、常時辛い吸引が必要となることが多いです。話をすることもできませんし、水が飲みたい、何か食べたい、苦しいと思っていても、身動きすらとれず、話す、食べることもされていないため、命の源である口の中の環境も劣悪となります。この状況をご本人は、果たして望んでいただろうか、本当に口から食べることができないのか、という疑問を持っていた頃、口腔ケアの後、口をもぐもぐと動かし、その後唾液をごっくんと飲むことができる方が殆どであることに気が付きました。たとえ長年経管栄養で口と喉を使っていなくとも、飲み込む機能は残っている、食べられるはずだと確信し、8年前に摂食・嚥下障害看護認定看護師の道に進みました。
日本では、近年人生の最終段階において、自分らしく過ごすための話し合いを繰り返し行うことで、その思いに近づけるよう本人の意思を確認していく ACP(Advance Care Planning)=人生会議をしようという動きが活発となっています。経管栄養に関して言いますと、人生の最終段階で口から食べられなくなったとき、経管栄養を希望しますかの問いに、ほとんどの方が希望しないという答えをよくいただきます。しかし、実際には人生の最終段階の期間は長く、その入り口は曖昧です。そのため人生の岐路、例えば口から食べることができなくなったとき、経管栄養を実施するか否か、終末期ともいえない時期に意思疎通がとれない本人に代わり家族が判断をします。現状は医師の意見により経管栄養を余儀なくされる、あるいは病院・施設の都合上、経管栄養をしたまま施設へ転院され、時間の経過と共に食べる機能が廃用をきたし、経管栄養を離脱することが困難となるなど、人生の最終段階で経管栄養となる入り口が現在でも多くみられます。
今回の派遣から得た2つのこと
現在日本では、高齢者が住み慣れた地域で、自分らしく生きることを支援するためにあらゆる支援や施設の在り方が変わりつつあります。しかし、まだ日本全国多くの高齢者施設は先にあげた患者さんで溢れているのが現状です。
特に、脳血管疾患や認知症、誤嚥性肺炎等で入退院を繰り返していく内に状態が悪化し、身体も動かなくなり、本人の意思も分からない状況になってしまった方々のケアは特に不十分だと感じます。人生の最終段階において、どんなに辛くても抵抗することも、何も伝えることもできずただ、亡くなるその時を待つことになります。
志の高い高齢者施設もあります。しかし、現場で散見するのは、誤嚥性肺炎の治療が終わり、口から食べられるにも関らず、口から食べているのであれば入所を断られる、あるいは胃瘻を造らなければ、施設に入ることができない、あるいは食べて帰ったとしても、間もなく誤嚥性肺炎で急性期病院に入院する、あるいは誤嚥性肺炎をさせないためにと、初めから食べることを諦めさせる主治医など、様々な理由により、意思疎通困難の高齢者の運命は、本人以外の人々の都合で決められていきます。
このような医療・介護の現状から、自分で判断できるうちに、寿命を全うする前に、自分らしく死にたいと「安楽死」を希望される方が増えているのではないでしょうか。
日本の病院・施設はまだまだ患者さんや利用される方を「管理する」という視点が根強いように思います。高齢になって身体が思うようにならなくなって、病院や施設に入ったからといって、誰が人から「管理されること」を望むのかと。善かれと思っていることでも、実は今まで普通に生活してきた「日常」を病院や施設で関わる人々が何気なく奪ってしまっていることが多いと感じます。例として、朝食の前に身支度せず食事介助をしてしまうことなど。今までの日常では、朝起きて自分の手で水に触れ、水を溜め、その手で顔を洗う。そして口に水を含み歯磨きをし、その手で髪を整え、眠っていた身体を呼び起こし、爽快感と気持ちの切り替えをして、一日が始まる。
しかし、私が見た多くの寝たきりの患者さんは、自分の顔に手をもっていくことすらできないのです。このような現状を少しずつでも変えていくため、現在、勤務先や他施設・看護学生に対し、現状を伝え、問題解決のための知識・技術への継承を行っていますが、今回得た経験から、自分で高齢者施設を作ろうと考えるようになりました。日常を奪ってしまう「管理」ではなく、今まで生活していた「日常」が当たり前にできること。
そして、誰もが最期の時まで、口から食べることの尊厳が保たれることを目指して。
人は誰もが皆、大切な人の子供であったり、親であったり、職場の先輩や後輩であったり、いつでも誰かが誰かの道しるべとなって今まで生きてこられたはずですし、これからも誰かの道しるべとして生きていくはずです。
亡くなるその時までも、またその後も、誰もが誰かの「にぬふぁ星―北極星―」であり、暗い航海の中での道しるべ、ブレることのない存在であること。これが今回、得たことの一つです。
感染された方のケアに携わる私たちは、PPE(個人防護具)を装着し、一度レッドゾーンに入ると5時間は出てこられない状況もありました。かなり苛酷でしたがそんな中、派遣の看護師・自衛官の彼女たちは「患者さんに何かもっとしたい、心地よくなってもらいたい」という気持ちを常に持っていました。
勤務を始めた頃は、様々な状況がかなり悪く、ケアもオムツ交換や体位変換、口腔ケアをすることで精一杯でしたが、徐々に状況が落ち着いてくると「今日は身体が拭けて着替えができた。自己満足かもしれないけど。」「今日は手足を拭くことができた。自己満足かもしれないけど。」「今日は爪を切ることができた、自己満足かもしれないけど。(笑)」そういい合いながら、少しだけさっぱりしたように見える患者さんを看て、皆で協力しながらケアができることが、こんなにも私たちを笑顔にしてくれるのだということを改めて感じた場面でした。どんなに困難な状況であっても、「人は人を想うことで救われていた」。これが2つ目に得たことでした
『ケアに見惚れた』という人との出逢い
最後に、リッチャー美津子さんとの縁で昨年スイスの美津子さんの施設で2日間働かせていただき、多くの貴重な経験を得ることができました。
看護師として26年働いてきた中で、この看護師さんは優しいな、という看護師さんには数多く出会ったことはありますが、『ケアに見惚れた』という人に出逢ったのは、初めてでした。
住人さん(施設で暮らしている方々)に向ける眼差しから声、触れる前からの間合いから、触れている時の手のひら、指先まで、常に愛で包み込み、その波動が住人さんにも伝わっている。その波動を美津子さんも受け取る、
その姿を見てからというもの、常に自分のケアを振り返り、「美津子さんはこうはしないはず」と、いつもいいながら反省する毎日です(笑)。
美津子さんのようなケアができるケアの担い手が増えていくことも、私の夢でもあります。
長文、お付き合いいただきありがとうございました。
夢の実現にむかって、頑張っていきたいと思います。
皆様の大切な夢も、叶うことを願っています。